府中の星空から〜怪鳥の星空日記〜

2002年3月のバックナンバー



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3月31日(日)

 今日は当会総会でした。このところ、参加人数が減ってしまっていますが、まぁ役員会のようなノリで来年度のことも決まりました(でも本当はみんな参加して、色々決めたいと思う会長なのでした)。ということで、新年度もまた会長をすることになりました。よろしくお願いします。
 そして、今回の目玉。なんと会費がコストダウンのため、値下げされました(年間四千円→三千円)。うーん、当会もデフレスパイラルまっただ中?

うみゅー、また空いてしまった

3月15日(金)

 暖かいを通り越して暑いですね。今日は24度近くまで上がったとか。靖国神社の桜も咲き始めたそうで、明日あたり開花宣言が出るかもしれないそうで。記録更新ですねー。明日は森田さんの天気予報がなくて残念。
 で暑いと、寝冷えしてしまうんですよね。今日は体調が悪かった。ふらついてる中、残りの原稿を仕上げました。
 春一番も吹き、なんだか夜空はとってもきれいでした。イリジウムフレアも久々に観察。西空が見えれば、イケヤ・チャン彗星にもチャレンジするところなんですけどねー。

3月14日(木)

 天ガ仕事の締め切り日(実は今日知った!)。1本だけ後送りが残りましたが、無事終わりました。この作業に入ると、日記の更新が遅れますね。
 夕食が一人になってしまったので、近くに新しくできたラーメン屋へ。昔ながらの中華屋はたくさんあっても、今風のラーメン屋が近所に少なかったんですよね。なかなか良い感じのお店でした。

3月13日(水)

 仕事が意外にはかどり始めました。なんか今月は集中力が続くんですよね。ここ2カ月ほどバタバタの中の原稿だったので、今月は色々細かいところまで気を配って誌面を作っております。
 夜寺久保さんが来て、先日の観測会で撮影したイケヤ・チャン彗星の写真を見せてもらいました。コントラストが悪い写真なのですが、なんとバックが黄道光だからとのこと。しし群のときにも感じましたが、侮れないですねー。
 この日、さらに新彗星発見の報が。しかも日本の方が眼視的に発見だそうで。まだまだ眼視捜索もできるんですねー。先日の池谷さんといい、頭が下がります。

3月12日(火)

 難関、読者サロンのページを片づけました。項目が多くて、入り組んでるので、結構時間がかかるんですよね。皆さん、選ぶのに悩むくらい、多くの投稿お待ちしてますよー。

3月11日(月)

 家を空けていた間の事務作業を色々とこなしました。ADSLモデム返却や、開通直後に繋がらなかった件についての問い合わせなど。うーん、なんか間延びして話がうまく伝わらない部分も多かったですが、まぁこんなもんでしょう。
 FC東京三浦文丈選手、全治8カ月の重傷との報。好調だっただけに、残念すぎる。
 サラダに入れるリンゴって、甘過ぎるとおいしくないのねって、ちょっと変な日記? さ、仕事仕事。

3月10日(日)

 仕事もたまってるのだけど、ちょっと疲れ気味だったので、世間並に日曜日の昼を過ごしました。なんかこういう日曜日、今年に入ってめっきり少なかったなぁ。
 でも、夜からは仕事。今月は満足いく仕上がりに持っていきたいと思ってます。

3月9日(土)

 今日はFASの観測会。イケヤ・チャン彗星を見に行く予定なのですが、何か連絡があるといけないので、私はパスすることにしました。見送りに行ってきます。
 こんなページを見ました。特にこのページで久々に大笑いしてしまいました(^^)。
 彗星は肉眼でこそ見えなかったそうですが、5等で尾も伸びていて、なかなか見応えある姿だったそうです。

3月8日(金)

 月一度の通院日。とりあえず疲れてはいるものの、特に異常はなし。
 プリペイド携帯など物色したのですが、あんまり置いて無いのねー。とりあえず今日は見送り。
 夕方は、よく晴れてましたね。南武線の車内から都心方向の高層ビルが、とってもよく見えてました。

3月7日(木)

 仕事の打ち合わせもあり、夕方東京に戻ってきました。そのまま打ち合わせに直行。義父の病状は比較的落ち着いてきたので、しばらく東京で仕事をしようと思ってます。
 ところで乗ったのは、新型あずさでした。なんか見てくれが悪いよね。でも中はスーパーあずさに比べると、広々としている感じでした。

3月2日(土)

 義父の病状は比較的落ち着いてきた様子。とりあえず家に帰り、入りの悪いニッポン放送でFC東京の試合をチェック。鹿島相手に4得点の快勝!ちょっと見たかったなぁ〜。
 深夜より再び病室で看病に。

3月1日(金)

 夕方電話が鳴り、義父が危篤になったとのこと。慌てて病院へ直行(と言っても2時間以上かかる)。着いた時には多少落ち着いたようでしたが、予断を許さない状態ということで、深夜班の我々はそのまま朝まで病室で付き添うことに。


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