流星、流星!、流星!!


流星雨となった2001年しし座流星群について、当会寺久保さんによるエッセイです。
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流星、流星!、流星!!

寺久保一巳

極大前夜まで

 「流星雨が来るぞ」と言い続けて早4年。いい加減「狼少年」状態になってきたのか、世間の盛り上がりは今ひとつの感がある「しし座流星群」。今年もやってきました、その季節が。
 世間の盛り上がらなさとは裏腹に、私を含め流星マニア(?)の期待は例年になく大きなものがあった。それは「今年日本などでしし群が流星雨となる」というありがたい御信託が、複数の流星研究者から出されていたからである。(この世界の人には)言わずと知れた「アッシャー説」である(正確にはマクノート/アッシャーを始めとして複数の研究グループにより出されているダストトレイル理論などのこと)。ああ、神様仏様アッシャー様、どうぞ日本に流星雨を振らせてくれたまえ・・・
 一般に世間が騒ぐと大出現しない、と言われる流星の出現数。今年はあまり世間が騒いでいないからもしかしたら流星雨になるのでは、という淡い期待も11月初旬のアッシャー博士記者会見でもろくも崩れさった。一方、国立天文台の某氏が「流れる」と言えば流れない、「流れない」と言えば流れるという説によると、今のところ今年の出現は期待できそうである。国立天文台の公式見解は「HR20程度」である。よし!。
 そうこうするうちに、極大日一週間前となった。この季節の天気は変化が激しく、直前まで予想しきれないとはいえ、週間予報で大方の傾向は分かる。その週間予報によると、11/18-19頃の天気は曇り、芳しくない状態である。念のため飛行機移動の手配を済ませ、日に日に変わり行く天気予報とにらめっこするが、一向に予報は好転しない。それどころか一時、南関東の天気が雨にまでなってしまう始末。むむむ、困った。これは石垣島へ移動か・・・
 極大日前日11月17日(土)。この日は従来の極大日であり土曜日であることから、同好会のメンバー10名が集まり、河口湖近くのいつもの観測場所へと向かった。この時点で、この日および翌日の天気の心配はほとんどなくなっていた(とこの時は思っていたのだが、甘かった・・・)。従来の極大日にもかかわらず、この日の主目的は翌日の観測の予行練習。その上、翌日に備えてドライバーである私は途中で寝に入ってしまうというていたらく。と言いながら1時間も寝ずに、流れないと分かっている夜空を見上げてしまうのであった。ああ、悲しいサガよ。結局この日は目立った出現はなかった事を確認し、明日のことも考え、4時前には観測場所を後にした。いよいよ明日(というか今日)は本番。それまで少しでも休めれば良いのだが・・・。

観測地までの長い道のり

 11月18日(日)、待ちに待ったしし座流星群極大日。天気はいい。全国どこでもおおむね「晴れ」だ。これならゆっくり出発しても十分間に合う、とこの日の参加メンバー8人は余裕の構えで集合後ごろごろと時間を潰すのであった。そうこうするうちに時間は15時半、いつもの観測地でよかんべ、ということで府中を出発、一路河口湖へと向かった。河口湖近くのいつもの観測地は晴れの予報。今までの経験からその場所が晴れる確率は高いので、今日は大丈夫だろうと思って出かけてみたのだったが・・・。
 大月を過ぎたあたりからなにやら怪しい雲行き。河口湖インターを降りる頃には、今にも雨でも降り出しそうな黒雲が空全面を覆った。それでも「そのうち晴れてくるだろう」という期待と「まだ時間も早いし」という余裕から、とりあえずゆっくりと夕食でも食べながら様子を見ることにした。流星が飛び始めるのは夜半過ぎである、慌てない慌てない・・・と心を落ち着けながら、観測地へと向かってみたところ。空は全面曇り。風もなく雲が動く気配が全くない。いくら流星が飛び始めるまでに時間があると言ったってこの空では。 
「移動だ」そう決心するのに5分とかからなかった。とりあえず夕方には晴れていたという情報のあった八ヶ岳方面へと向かう。御坂峠を過ぎ甲府に入る頃には晴れてくるだろう、と期待しつつ車を走らせてみたものの。
 今回8名で観測に臨むため、車2台で移動していた。途中中央道双葉SAにて待ち合わせる予定であったが、一向に晴れ間が覗かない空を見ていて私は不安になった。「果たして我々が向かっている方向は晴れているのだろうか」。そう思うといてもてってもいられなくなり、慌てて待ち合わせ場所より一つ前のPAに車を止めた。「晴れているところを探せ」慌ててメンバーに指示を出すとともに電話に走った。「流星が沢山流れたとしても曇っていてはどうにもならないじゃないか」動揺し、思考が止まった。

 私が流星を追い始めたのはいつごろからだっただろう・・・
物心ついたときにはもう星を追っていたような気がする。流れ星ともそのころからの付き合いだろう。はっきりと流星を観測した覚えがあるのは11〜2歳の頃だったかな。全天を4つぐらいに分けてみんなが別の方向を見る、いわゆる団体計測というものだったと思う。痕っていう言葉がなかなか覚えられなくて、何か別の言葉を言っていたような・・・良く思い出せないが、遠く懐かしい思い出。しし座流星群を追い出したのは1995年。それまでは歴史上の出来事と思っていた流星雨が徐々に現実のものとなりかけてきた年。1996年・1997年と夢を追い続け、1998年夢は砕けた。そして1999年・2000年、出会えないと分かっていながら再び夢を追い続けた、今となってはほろ苦くも懐かしい思い出。そして2001年。今年もまたそれらと同じほろ苦い思い出のひとつになってしまうのか・・・

はっ!
我に帰ってみれば、これらの思い出が走馬燈のように頭をよぎっていたのは一瞬の出来事だった・・・ということはなく、時は非情にも1時間も経過していた。時刻は21時、移動可能限界時間である。もう迷っている場合ではない、最終判断をしなければならない。進む方向といったらもうこれしかない。「北北西に進路をとれ」。こうして中央道を北上、原村方面へ向かうこととなった。
 中央道を進むにつれ徐々に晴れ間が広がって来た。「よし」。星が1つ・2つ・・・どんどん増えてくる。「よし!」。ついに雲がとれ全面晴天に。「よーし!!」。
 諏訪南インターで高速道路を降りる。料金所がいつもより混んでいる気がする。「しし群を見に?まさか」そう思いながら、観測場所めざして農道をひた走る、走る、走る。ひたすら夜道を走っていると次のような看板が目に入ってきた。「しし座流星群こちら」。しし群に対する想いが強すぎるための目の錯覚か?いや、みんな確かに看板が見えると言う。これは天が我々に行く道を指し示してくれているに違いない。我々の向かっている方向に間違いはない。きっと見える、いや見せてくれるに違いない。魂の叫びの赴くまま観測地めざして車を走らせるのであった。めざせしし群、時間はないぞ・・・。

そして快晴

 22時目指す観測地に到着。この日のために数年前から下見を続けてあたりをつけておいた観測地は、それほど人出も多くなく条件は良好。ただ車道脇の広場のため車の明かりが多少邪魔になると心配していると、先に周辺を視察に行っていたメンバーから「奥にもっと広く視界が良いところがある」との情報。早速見に行ってみると・・・周りには他に1人人がいるだけでほとんど貸し切り状態。車道からも離れ車の明かりもほとんど影響なし。その上視界良好、地平線まで真っ暗。これ以上願うべくもない最良な条件の観測場所であった。「しし群の命運をこの場所にかけた」そう決意し、観測準備に入ることにした。ここまでで、天気そして場所は揃った。あとは大出現するかどうかだけである。すでに体のアドレナリンは上がりまくっている。さあこい流星雨、万全の体勢で受け止めるぞ。
 と言ってはみたものの、現実は全然万全ではなかった。現地に到着したのが22時、しし群の輻射点が上がるのが23時頃。観測場所の下見や観測機材の準備をしていると、とても23時からの観測は出来そうもない。ここで慌てて観測をふいにしてしまっては仕方ない。泣く泣く観測開始を1時間繰り下げ0時からとし、準備を万全にすることとした。
 機材などの準備をしていると、突然「おーっ」という大声が上がった。「いったいなんだ?」空を見上げると、長く明るい流星がゆっくりと空の東から西へ流れていた。「すげー」「かっこいい」「きれい」様々な声が挙がる。1998年にも見られた超長径路の流星であった。22時53分、今年のしし座流星群の幕開けであった。
 「おーっ」、「うおー」、「あーっ」。その後時間が進むにつれ、あちこちから声があがる。しし座流星群の流星は高速のものが多く、声がしてから振り向いてももう見ることはできないのだけど、早い時間帯に流れるしし群は特別。輻射点が低いことにより、ゆっくりと長径路な流星が流れるため、数秒から10秒近く一つの流星を見ることができるのである。そのため、声がしてから流星を探し始めても流れている流星を見ることが出来るのであった。観測準備を進めながらでもちらほらと流星を見ることができる。輻射点高度を考えるとかなりの数の流星が飛んでいるのではないか、そう思わせるのに十分な流星数であった。

流星・流星雨・流星嵐

 11月19日0時、観測開始。かなりのペースで流星が流れている。観測開始30分後には5分間で10個を突破、つまりHR100以上となった。HR100、1時間に100個以上というのは長年の当会の観測記録の中でも最多の部類である。こんな簡単にHR100を超えるとは、いったいこの後どんなすごいことが待ち受けているのだろうか。期待を大きく膨らませていると、それに水を差す発言が。「この時間から活発だと、この先出現数があまり伸びないんじゃない」。そうだった、そういえばそんな説があったのを思い出した。今年のしし群の出現状況については複数の研究者が独自の説を出しており、その中の一つに「18日22時頃に最大のピークがあり、19日2時頃にもゆるやかなピークがあるが第一のピークよりは出現数が少ない」というものがあった。その説から日本で実際に見られるだろう流星数を試算してみると、出足こそ快調のもののその後の増加は緩やか、最大でHR数百止まりとなってしまうのだった。数百(6等まで見える空で400程度の試算)と言えば相当な数だが、数少ない流星雨のチャンス、どうせなら数千以上の出現になってもらい。と思っている(欲張りな)私にとって、早い時間からの流星群の活発な活動は、不安を募らせるものとなったのだった。
 なんていう不安は、1時になった頃にはすっかり忘却の彼方に忘れ去ってしまった。1時の頃にはHR200のペース、順調に数を増している。かって記録したHR102をあっさりと塗り替え、我々にとって前人未踏の流星数を更新し続けている。それに明るい流星が多く見栄えがする。みんなじょじょに興奮してきているのが分かる。口々に思い思いのことを話している。ひとときでも黙っていられないそんな感じだ。
 時間とともに流星の数はどんどん増して行く。5分間で20、30、40・・・数が増してくるにしたがい興奮度も増してくる。「すげー」、「これはくるぞ」、「ついに流星雨になるんだな」、「生きてて良かった」、「よっしゃあ」。
 火球、流星痕、同時に流れる流星・・・様々な流星が流れ、そしてついに2時30分、HR1000を超えた。「HR1000突破」、「おーっ!」。ついに達成、夢の千台突破。定義はいろいろあるがまさに「流星雨」に達した瞬間と言えるだろう。しかし極大予想時間まではまだまだ。HR1000というのはただの通過点にしか過ぎない。果たしてどこまで流星数はのびるのか、そしてその時いったいどんな光景が待ち受けているのか?期待が大いに膨らむ。そして・・・
 流星数は爆発的に増加。観測者から悲鳴が上がる。「わわわわわ、押し切れない」(カウンターによる観測者)「はい、はい、はい・・・ぜい、ぜい、ぜい(息切れして声が出ない)」(テープによる観測者)。がんばれ観測者、この日のために今まで特訓して来たではないか。なんとか全ての流星を捉えるのだ。皆が固唾をのんで見守る中、流星群はピークを迎えた。

四方八方に広がる流星雨、絵画のような光景が今ここに

 最大瞬間出現数5分間に264個、HR3000を突破。流星は休みなく流れ続ける。「四方八方に流れる流星はまるで絵画の中のよう」確かにそうだ。流星が輻射点から流れているのがよく分かる。「火事になる、という気持ちが分かるよ」森の中に次々に落ちて行く流星を見ていると、確かに木に火がつきそうな感じを覚える。「流星がみんな西に集まってる」西を見ると全ての流星が西空に集まっているのが分かる。東天のししの大がまから飛び出した流星が、全て西空に集まって行く。
 「流れた」「こっちにも流れた」。いつもならそんな声がすると慌てて声のした方向を見つめ、見逃した流星を残念がるのだが、この時はそんな心配は無用だった。空のどこを見ていても流星が流れている。東の空の放射状に流れる流星達、南の空そして北の空の地平線に落ちて行く流星達、西の空の収束して行く流星達。空をゆっくりの見回しながら、しばし流星雨の中に身を浸した。
 パチパチパチ・・・思わず拍手が上がった。そう言えば今年2001年に流星雨が見られるなんて、数年前まではだれも思っていなかった。それが、アッシャー博士などによる研究から今年の出現が示唆され、こうして今その流星雨を見ることが出来た。アッシャー博士に代表される流星研究者の皆さんありがとう、おかげで今こうして流星のシャワーを浴びることができる。そう思うと自然と拍手の輪に参加することができた。「アッシャーすげえ」そして「アッシャーありがとう」。

余韻は長く華やかに

 3時30分を過ぎると、流星の乱舞もさすがにそのペースを落としてきた。「ピークは終わったね」「ああ、まさに流星雨、いや嵐だったよ」。そんな会話を交わしつつ、私たちもじょじょに平静を取り戻してきた。数が減って来たと言っても、まとめていくつか流れる流れ方は健在で、まとめて流れたあと次に流れるまでの間が少々長くなってきたといった感じ。間と言っても10秒と間が空かない、いわゆる流星雨状態のままである。平静を取り戻したメンバーから冷静な分析が聞こえる。「予想よりもピーク後の減少が鈍いな」確かに数が減ってきたとはいえ、大きくは減っていない。「ピーク時よりも明るい流星の割合が増えてきたような」そういえばそうだ。ピーク時は比較的暗い(と言っても十分見て楽しめる2等級などの)流星が多かったが、ここに来てまた明るいものが増えてきたような気が・・・おっと火球だ、痕もあるぞ。
 視野の端や後ろが何度もフラッシュした。あちこちから「明るい」「火球だ」という声があがる。1998年にヨーロッパなどで見られたという火球の乱舞には及ばないのかも知れないが、それでも十分満足できるはでな流星乱舞だ。極大が過ぎたとはいえ、まだまだ衰えることを知らない、しし座流星群。まさに「キングオブメテオ」、すばらしい流星群である。

黄金色に輝くしし座

 衰えることを知らない流星の出現に対して、夜はじょじょに衰えを見せ始めていた。それまで真っ暗だった東の空が、ほのかに明るくなってきている。「薄明が始まった」残念そうなつぶやきの声があがる。まだ流星は流れているというのに、空はだんだん白んできて朝を迎えてしまうのか?残念無念、もう少しこの暗い空で流星を眺めていたかったのに・・・早過ぎるぞ、薄明。って、やけに早すぎないか薄明が始まるのには。よく見てみると薄明にしてはやたら細長い。もしや「黄道光」?
 東の空には今まで見たことがないほどの明るさで輝く「黄道光」が現れていた。黄道光は見る見る明るさを増し、観測のじゃまになるほどだ。東の地平からまっすぐ伸びる黄道光はしし座をつつみ、まるでしし座が黄金色に輝いているように見えた。そのしし座からは流星が四方八方に流れ出している。後光の射すしし座から飛び出す流星雨・・・夢のような光景が見るものの心を奪った。
 その夢のような光景も、やがて本物の薄明に飲まれて行き、星も・流星もだんだんとその数を減らしていった。天の川が消え、星雲星団達が消え、星座が一つ一つ消えていった。ひたすら流れ続けた流星も1つ減り2つ減り、空の明るさに飲まれて消えていった。
 1等星も見えないような明るい空に、名残惜しく流れる流星を数えながら、19日6時しし座流星群の観測を終了した。
 流星が飛び続けている間はまったく感じなかった寒さが、急に体をつつんだ。マイナス8℃。すっかり明るくなった周りを見渡してみると、全てのものが真っ白に凍り付いていた。

宴の後

 片づけをしている間、すぐ近くの八ヶ岳自然文化園へ立ち寄ってみた。ここではしし座流星群観測会が開催されていたらしく、観測を終えたらしい人々が大勢残っていた。一晩中の観測で、疲れたように見受けられたが、皆顔は一様に輝いていた。「流星雨が見られた満足だ」そう顔に書いてあるようだった。
 帰りがけ中央道双葉SAに立ち寄った。休憩所に座っている人たちは皆厚着をしている。その時TVのニュースで今朝見られたしし座流星群の乱舞の模様が放映された。皆の顔が一斉にTVの方向を向いた。「みんなしし座流星雨を見てきたんだ」そう思うとなんだかうれしくなってきた。TVの放映が終わると、皆満足そうな顔をしていた。
 帰りの車窓からは富士山が綺麗に見えた。

2001年11月19日。この日のことは決して忘れることはないであろう。

おわり


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