しし群流星雨(流星嵐)の印象

 当会の観測隊(観測地・長野県原村と茅野市の境界付近)の、流星雨の印象などを時間とともに追ってみました。


22時台〜1時頃

 現地で一番最初に出現したしし群の流星は、22時53分であった。この観測地で輻射点が上るのが22時56分で、これよりも若干早い時刻に出現したことになる(輻射点高度:約-0.5度)。
 この流星を含め、1時くらいまでは、東から西の空に渡って、経路の非常に長い流星が流れた。継続時間も数秒に及び、声を聞いてからその方向を見るだけで、十分に間に合うほどだった。
 このような流星は、1998年の極大夜にも出現し、その時はかなり明るいものが多かった。一方この日はかなり暗めの流星でも、長経路の流星が見られた。これらは流星が発光する大気の高度を、ほぼ水平に流星が横切るため、見られるタイプの流星である。
 なおこの日は到着が遅れた(雲を避けて富士山方面から移動した)ため、観測開始が0時になってしまったのが残念であった。

1時〜2時30分

 この時間帯はゆっくりと数が増加した。一方、流星は明るい火球クラスが多く出現し、あちこちに流星痕を残した。この時間帯に流れ、当会で記録が残った火球は以下の通り。  このうち、1時47分28秒のものについては、明るい永続痕が残り、その後7分以上にわたって肉眼でも確認された。残念ながら、観測ローテーションの都合があり、写真での追跡撮影はできなかった。
 2時を過ぎて、暗い流星が増加し始めた。明るい流星も多く流れていたが、火球クラスは減り、暗い流星の割合が増加したと思われる。

2時30分〜3時00分

 それまでも着実に増加していた流星数であったが、この時間帯より前での増加はゆるやかであった。しかし2時30分を過ぎた頃から、流星が爆発的に増加した。観測結果も2時30分にHR1000を超え、2時40分に約HR1500、2時50分に約HR2000とものすごいペースで増加した。
 この時間帯は、マクノート・アッシャー説の9回帰前(1700年放出)の流星物質による極大予報(2時24分)よりも後にあたる。
 観測者の一人は2時55分〜3時00分の5分間に264個、HR=3168を瞬間的に記録した。特に2時57分台と2時59分台には、爆発的に流星が多く流れたようであった。

3時00分〜3時30分

 流星数はHRで2000〜2500をキープし、極大を迎えた。ただし明瞭な鋭いピークというわけではなく、どの時間帯が最も多かったかは、微妙であった。
 当会の5分毎の観測で最も多いカウントをしたのは、上記の2時55分〜3時00分のHR=3168だが、他の観測者はそこまで多くはなかった。しかしながら、確かに3時前後に一つのピークを迎えたような結果となっている。この時間帯は、ライチネンによる9回帰前(1699年放出)の流星物質による極大予報(3時03分)に近い。
 その後も増減を繰り返しながら、3時20分頃を中心にピークを迎えたと考えられる。しかしこの時間帯(〜3時30分)では、数が減ったという印象ではなかった。
 ちなみに、4回帰前(1866年放出)の流星物質によるピーク予報は、アッシャー・マクノート説では3時13分、ライチネン説では、3時20分であった。

3時30分〜5時00分

 3時30分を過ぎても、一度に多くの流星が流れるという傾向は続き、ハイレベルで推移した。しかし、流星出現の間隔が徐々に開くようになり、数が減っていったことを実感するようになった。ただしその減少傾向は、思っていたほどではなく、ときおり増減を繰り返しながら、かなりゆったりとしたペースで減っていった。
 また3時30分を過ぎた頃から、再び流星が明るくなったようであった。永続痕が頻発し、あちこちの空で見られた。2時30分以降で、当会で記録が残った火球は以下の通り。
 流星とは無関係だが、黄道光(天の黄道に沿って、ぼんやりとした光芒が広がって見られるもの)がきれいに見られた。

5時以降

 当地での薄明開始は5時。これ以降、徐々に空が白みはじめ、最微星光度も落ちてきた。しかし流星の方は相変わらずのハイペースで、5時15分頃でもHR=500を記録するほどであった。
 5時30分以降は薄明がいっそう進み、見られる流星の数は確かに減ったが、火球クラスのものも多く、活動が低下してきているという印象ではなかった。1等星しか見られないような青空の下、5時45分〜6時でもHR72と、1分間に1個を超えるハイペースであった。
 青空の中での流星痕は淡い白いチョークのようで、あった。またこの頃、流星が赤みを帯びているように感じた。

その他・全体的な流星の印象など


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