観測日食碑(三条市)


 観測日食碑は、1887年(明治20年)8月19日、この新潟県三条市の永明寺山での皆既日食観測の成功を記念し、建てられたものです。



 この日食は左図の通り、新潟県・山形県・宮城県・福島県・栃木県・茨城県・埼玉県・千葉県(それぞれの一部)を皆既日食帯が通過しており、この地域では太陽が完全に隠される「皆既日食」となりました。
 新潟県三条市は、この皆既帯のほぼ中心付近に位置するため、観測隊が布陣した模様です。
(図はシミュレーションソフト「GUIDE7」より加工して作図しました)

 碑の説明板によれば、専門家による観測隊はこの三条市の他、福島県白河市、栃木県黒磯市、千葉県銚子市に布陣し、それぞれで観測を計画していたとのことです。しかしながら、この中できれいに晴れたのは三条市だけだったようです。
 ちなみに三条市で観測を行ったのは、内務省地理局測量課長内務二等技師であり初代中央気象台長の荒井郁之助らの観測隊だったとのことでした。

 この時の観測ですが、なんと皆既中のコロナの写真まで撮影に成功しています。当時の写真技術から考えれば、これは素晴らしいことといえそうです。説明板にはこの時の報告書が抜粋されて掲示されていました。


説明板より

 このような素晴らしい結果をおさめたこの観測、日本で初めての科学的な日食観測であり、これを記念して碑が建てらたとのことでした。



左・全体像
 松の木の下にあるのが印象的。松はいつ植えられたんでしょうね。
右・碑の裏側
 「明治二十年九月」と書いてあるんでしょうか? 建立された年月でしょうか。

皆既日食について

 月が太陽を完全に隠す「皆既日食」は、世界的には年間1度くらいの割合で起こります。ただ、見られる地域が帯状の非常に狭い範囲に限られるため、特定の地域で見られる確率は非常に小さくなります。
 日本の陸上で皆既日食が見られたのは、この1887年の後、1896年(北海道東部)、1918年(鳥島・北大東島)、1936年(北海道北東部)、1941年(西表島・石垣島)、1943年(北海道の一部)、1963年(北海道東部)だけです。
 次回見られるのは2009年のトカラ列島までありません。

 さらに本州に限れば、1887年のこの日食の後、実に148年経過した2035年(富山・新潟・群馬・茨城など)まで起こらないことになります。
 2035年の皆既日食は三条市では残念ながら皆既になりませんが、銚子など1887年に皆既日食が見られた地域の一部でも皆既日食となります。何か因縁めいてる感じがしますね。


 余談ですが、この地を訪れたのは、土星食(2001年10月8日)の観測のためでした。三条市は今回の土星食で、土星の一部だけが月に隠される接食(部分食)のエリアだったため、この碑がある同じ大崎山公園内の三条グリーンスポーツセンターに宿泊し、観測にのぞみました。
 1887年の晴天にあやかろうと思ったわけでもないのですが、残念ながら土星食の方は直前に広がった雲で、満足な観測はできませんでした。普段の行いの違いでしょうか(^^;。


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